选段欣赏:
|漆黒《しっこく》の|闇《やみ》だった。
彼女はその中に立ちすくんでいる。
どこからか高く澄んだ音色で、|滴《しずく》が水面をたたく音がしていた。ほそい音は闇にこだまして、まるでまっくらな|洞窟《どうくつ》の中にでもいるようだが、そうでないことを彼女は知っていた。闇は深く、広い。その天もなく地もない闇の中に、薄く|紅蓮《ぐれん》のあかりがともった。闇のかなたに炎でも燃えさかっているように、紅蓮の光は形を変え、踊る。
赤い光を背にして無数の影が見えた。|異形《いぎょう》の獣の群れだった。
こちらはほんとうに|踊《おど》りながら、あかりのほうから駆けてくる。|猿《さる》がいて|鼠《ねずみ》がいて鳥がいる。さまざまな種類の獣の姿をしていたが、どの獣もどこかがすこしずつ図鑑で見る姿とはちがっていた。しかもそのどれもが、実際の何倍も大きい。赤い獣と黒い獣と青い獣と。
|前肢《まえあし》をふりあげ、小走りに駆ける。あるいは跳躍し、宙を旋回し、まるで陽気な祭の行列でも近づいてくるようだった。陽気といえば陽気には違いなく、祭といえば祭にはちがいない。
異形の者たちは犠牲者をめがけて走っているのだ。|生《い》け|贄《にえ》を血祭りにあげる歓喜に、小躍りしながら駆けてくる。
その証拠に殺意が風のように吹き付けてきていた。異形の群の先頭まで、もう四百メートルもない。どの獣も大きく口を開けて、声はいっさい聞こえなかったが、歓声を上げているのだと表情でわかる。声もなく足音もなく、ただ洞窟で水がしたたるような音だけがつづく。
彼女は駆けてくる影をただ目を見開いて見つめていた。
──あれが、来たら殺される。
そう理解できても、身動きできない。おそらくは|八《や》つ|裂《ざき》にされ、|喰《く》われるのだろうと思ったが、まったく体が動かなかった。たとえ体が動いたにしても、逃げる場所もなく戦う方法もない。
体の中で血液が逆流する気がする。その音が耳に聞こえるような気がする。それはひどく|潮騒《しおさい》に似ていた。
見つめるあいだに、距離は三百メートルに縮まった。
|陽子《ようこ》は飛び起きた。
こめかみを汗がつたう感触がして、目に強い酸味を感じる。あわてて何度もまばたきをして、そうしてやっと深い息をついた。
「夢……」